昭和43年10月19日 夜の御理解



 信心をさせて頂いて、一番大事なことは、生きた天地に対する、この生きた氏子の心によって、天地と交流すると言う事です。一番有難い大事なことはね。この方生神金光大神の教えられたことはですね、金光大神が祈るところ、天地金乃神と一心とも仰るね。天地は昔から死んだことがないとも仰るね、その生きた天地に対する私共の生きた心を持って、そこに縋りまたは詫びそして又は礼を申し上げると、そこに天地との交流がある、天地との通いがある。
 そこで信心さして頂く者は、いつもどのような場合であっても、天地がバックだと天地がバックだとね、天地がいつも後ろにバックになっておって下さるのだと、こんな力強いことはない。先日あの善導寺の久保山さんが、久保山茂さんが「親先生、この10月の16日または4月の16日、いわゆる合楽の御大祭という日には、もう長久しゅうおしめりがございませんな」と、こう言われるわけです。もう合楽の16日という日に、御大祭が続けられる限り、御湿りが無いというのはどう言う様な事かとね。
 例え朝降りよってもいざ祭典と言う事になったら、ぱぁっと快晴になってしまうと。これは天地の繋がり、生きた天地のつながりがあるからそれが出来るのです。もうそれだけでも素晴らしい事が分かるでしょう皆さん。金光様のご信心はどこまでもその天地と通わなければならんね。その天地と交流するそういう交流する道を教祖は教えて下さったね。だから交流するためには、こういう心の状態にならなければならない、あぁではいけないこうではいけない、こうあらなければいけないぞと教えて下さるのです。
 天地と交流していく、いよいよそういう道を極めていくのが、お道の信心なんです。御霊様にだって同じこと、それこそ生きておる人にもの言うように、又は生きる人に奉仕するようにね、その心持が必要なんです。今日は内田さん所のご主人の今日は立ち日でございました。丁度、合楽の秋の大祭の16日の日にお国替えになった、もう大変悪かった。がおかげを頂いてその16日の御大祭を拝まれた、今でも耳に縋っているあの椛目の廊下の、2階から下りてくるところに幕が張ってあった。
 2階から下りてくる先生方が下りてくる時に、あの幕がこうやってから、あれをいちいちこう上げて背が太いですから、立ってからこう幕を上げてやっておられたそん時も。またはあそこ便所へ行ったり来たりする人のために、幕をいちいちこう開けてあげては、いわば、私がここからお話をするのがあの人なんかはあそこの西の北の隅に、出入り口があった。あそこに立ってお祭りを拝んでおられた。その日は丁度、御大祭にお弁当が、お赤飯であったことも私は覚えておる。
 もうとにかくもうご飯を食べるのも、食べられなかったのですけれども、あのお赤飯が、もう大変美味しかったというて、その喜んで頂かれたね。これはもうこのまま元気になって、おかげ頂かれるかと思われるような状態であった。帰られてから今ここに見えておられる宮崎友足さんをつかまえてから、「はぁ金光様の信心ちゃ何ち有難たかもんじゃろかね」ちゆうてから、繰り返し話されたち。
 家向えですからね、それからあの御直会を頂いておる時に、内田さんが急変があって具合が悪くなったと、お医者さんが見えて注射をされて、まぁだ椛目を出始められたじゃろうという頃から、急死になった。いうならこれはもう間違いなく、注射のショックですよね。こうして内田が具合が悪くなったと言うけん行ってみたら、あたしが注射うったけんじゃなかばの、あたしが注射うったけんじゃなかばのち言わしゃったげな。言い訳しなければならんほどに、はっきりしてましたですね。
 でもそれが寿命であり運命であったりしましても、本当に亡くなられるその時までです、何ちゆう神様ちゃ有難いこっじゃかね、金光様ちゃ有難いことじゃろうかね、もうそれを繰り返し繰り返し宮崎さんに言われた、話されたねそして回診にみえたそのお医者に手を握られて、それからもう何分か後でした。そのような( ? )おかげ頂いとったんですね。まぁ最後のこの世での最後の食べ物が、あの御直会のお赤飯であったのに、私は思うんです。非常にお神酒が好きなお方であった。
 今私ちょっとお膳部が作ってございますから、あの割り箸をとって、割らして頂いて(笑い)熱いお神酒を、杯に注がせて頂きよったら(笑い)ね、まあだ生きた者のような感じ、生きた者に生きた者への、もうあたかも生きた人にもの言うように、生きた人に奉仕をするように、「まぁいいじゃないの、もう一杯どうぞ」というて、ああいうその心持がね、御霊様に通うと言う事ね、それが信心なんですね。信心というのは決して形式じゃないね。御霊様に対してでも。
 さぁ何万円も金をかけて、御法事をしたからというて、御霊様が喜ばれることはない。御霊様にはね、御霊様への道がある、神様には神様への道があるように、今日も大体今言うように、16日が御立ち日ですけども、16日は御大祭で、てんやわんやしておりますから、お母さんがとにかくこれから、あの主人のお祭りを19日に、これからさしてもらいますからというお届けがあっておった。でそのことを日にちがずれると言う事は、非常に良くないことですから。
 それを私も知ってもおりますから、神様にそのことを、今日4時の御祈念の時にお詫びさしてもらいよった。そしたらですね、あの三味線の調子を合わせるところを頂くんですね。例えば二上がりなら二上がりの調子で(?)を弾きよった。それを本調子なら本調子にぐぅと、こう本調子なら本調子に合わせておるところを頂くんです。そして御理解にですね。例えていうならば、こう弾いておる三味線が二上がりなのに、むかって素人はあ本調子のもんじゃろうが、三下がりのもんじゃろうが、いきなり唄うんです。
 そしてさぁその三味線を弾いておる人が困るようにね、いきなりさんぱちにですよ、御霊様のお祭りなんかで仕えられるもんじゃないて、実をいうと。今日は家に都合があるけん、いついつにしよう、まぁ早やかばってん(?)その日忙しかけんで先の方にすると、それでもいいからちゃんとそれはね、天地の親神様への願いがなからないかん、天地の親神様のお許しが頂かなければできない、ここんところがをようく皆が知らにゃいかん。丁度1時間ばっかり前に長瀬さんが今度、24日に結婚式がございます。
 なんか長瀬さん達が夫婦で仲人をされます。その新郎になられる方を今日ここに連れてみえて、信心が無いもんですからその紹介を先にしときたいというので、ちょっ1時間ばかり前に連れてみえた。それで応接間で私お茶をあげながら、丁度きみ子さんがお茶を運んでくれたから、その話しをするんですよ。あなた方が24日に結婚式をなさいますがねそれはね例えば久留米で披露宴があるそうですから、そこでも結婚式は出来る様になっとるけれども、仲人さんの長瀬さんが信心が手厚う出来るから。
 ただ形式の結婚式であっちゃいかん、神様の前で本当に有難い、本当に有難く円満にこれから結ばれて行く事の為にも、おかげを受けられて行く為にも、どうでも金光様でしなさいと言う事で、まぁここでされることになったんですね。ですからいうならば許されて結婚式、結婚するのですね。例えて考えてもごらんなさい。例えば私昨日聞かせて頂いた話しなんですけれどもというて話したんですけども。
 その長瀬さんのやはり税務署に勤めとる友達で、善導寺の久保山さんところの隣の、馬場さんという方が半身不随になられた、その前の日までピンピン、いや朝まで勤めに出られたんです。事務所を出られてから急に中風になられた、半身不随動かれなくなったね。ここを思うただけでも見ただけでもです、いかに人間がいわば果かないものか、又は人間の自由意志というものが、どこまでできるものかと言う事。私がつかんどるとじゃない、私が握っとるとじゃない、握らせて頂いておるこれを。
 んならあんたが自分で握んなら握んなさい、そう言うたっちゃああた握りやでけませんでしょうもん、半身不随の人に握らせようと言うったっちゃ、ほんの何十分前までは握れておった人が握れないのですから、いうならこのいつも( ? )に至るまでがね。息の( ? )に至るまでが、神様のお許しを頂いて息がでけておるとですよ。天地の親神様のおかげででけておるとですよ。んならそれがこの世だけではない、あの世でもそうである。いかに何万円、何百万の金をかけて葬式をしたところでです。
 その御霊様が喜ばっしゃるち言う事は絶対ない。それがそのまま御霊様に通わなければ、何にもならんね。そこでまず天地の親神様というか、天地の働きというものを大事にせないかん。天地の働きを大事にして、天地の親神様のおかげで、これができるあれができるというおかげを頂く時に、初めてそれが生きてくるのですね。そこから天地がバックと言う様な事が、言えるんじゃなかろうかとこう思う。
 今日は先ほどオリンピックの何か、特報ですかねがあっておりました。驚きますねあのアメリカの選手で黒人の人が、走り幅跳ですか、8メートル90とゆうんですから、どの位あるでしょうかね。とにかく義経の八艘飛びというよりかは大きいでしょうね、9メートルいう所を人間が飛び跳んどる。勿論人間が立っておるその頭の上を、ばぁと跳んでいくような跳び方ですよね。
 ほんと人間の力というものも、例えば精進によってあぁいう力が出る、あぁいう所までは行けれると、それこそ世界中をそれこそ驚かせたに違はないですね。もうとうぶんはねこういう、記録は破れんだろうといってましたですね、こういう跳びかたをする人はまだなかろうとこう、ご本部に参られた方はご承知でしょうけれども、あの奥城へお参りさしてもらいますと、教祖の神様のいわゆるお墓ですね、奥城に「人力威之(おどしの)命」と書いてあります。
 人間の力を持って、この世をもうそれこそ驚がくさせるんです、驚かせるような働きがでけられた方という意味でしょうね、人間、人間でありながら、天地と同根というところまで、神格を進められたと言う事でしょうね、天地と同根と言う所まで信じ人間がね、しかも教祖はそこを、みんながそこまでおかげが受けられると仰ってるんです。これはもう教祖の神様のいわば専売特許じゃないね。みんなもこの様なおかげが受けられるという信心なんです。
 人の上をそれこそ今日の、何とかというアメリカの選手じゃないですけども、世界中を驚かせるように、いわゆる人の目を驚かせるような働きができるのも、私は信心だと思うね、例えて言うですよ今日のその選手が、例えば8メートル90と言った様な最高の記録をつくったけれども、それとてもです人間の精進努力によって、それだけのことはでけたけれどもです、ならその選手がそんなら中風になったとしてごらんなさいね。足に例えばケガをしたとしてご覧なさい、もうそりゃでけんのです。
 それとても神様のおかげを頂かなければでけん、けどもここんところに信心があるね。ただ神様のおかげ、神様のおかげというて、棚からぼた餅貰う様な事じゃでけん。やはり一生懸命の、教祖の神様が生神金光大神とまでの御取立てを頂かれるまでには、様々な艱難難儀辛苦というものを全てを神様のご都合であり、神様のお働きとして頂き抜いておいでられたね。いわゆるそれこそうまずたゆまずな信心精進があってね。
 例えば今日のその幅跳の選手が、それこそ(  ?  )ほどの、もう訓練から訓練をしたに違いないですがそれだけのことが、人間の力をもって出来る様になったと言う所、ここに信心の修行がいかに必要かと言う事が分かるでしょうがね。とてももうただ拝んどるけんでお願いしとるけんでね。月並祭たんびにゃ参りよるけんそげなことでは、例えば生神への道というのはとても難しかね。
 そういうお互いがおかげの頂けれる信心に、お互い御縁を頂いて、その道に現在立たせられておるのですから、この道をやはり歩くより他にゃないですね。生きた天地と共に生きた自分の喜びの心がです、いきいきとして天地を自由にするほどの働き、人目を驚かすほどの働きね。椛目の大坪さんちゃ、ほんなこてしかとうもなか商売人じゃった。それこそ誰ぁれも知らなかった。
 ただ私のまぁ(?)がしっとるだけだった。それが最近例えばなら教団の中でです、合楽といやすぐ「はぁあの先生が合楽の教会長」と、みんなが知ってるですね。いわゆる信心のお育てを見て、信心ちゃたいしたもんじゃあるたいち、あげなもんがでけよるね。まぁいうならば人目を驚かすほどのことが、段々段々これからとても、でけることに違いはない私はそう確信するね。そういうお互いがおかげの頂けれる道にあるのですから、この生神への道というものはね、お互いが極めていかにゃいけん。
 その一番ポイントになるものは、まず何と言うても、生きた心なんです。生きた心を持って神様に接する。それは丁度内田さん達が今日の御霊様に対してです、なにかにとおかげを頂いていかれたように、私は今日御祈念の時にどうして三味線の調子し合わせるところを思うて( ? )とこう思うたんです。そしたらただ今ですね、御霊様にご挨拶申させて頂きよったら内田さんの横に、あちらのお母さんですね、いわゆるこの人達のお婆ちゃんになる方、椛目の宮崎あさのさん、いやおさむさんっち言いよった。
 いわゆるこの人達の婆ちゃんになる訳です。その婆ちゃんがですね、もう何ともいえん愉快な顔でおられるのを拝ませて貰ったんです。はぁ成程今日4時の時に三味線を持ってお知らせ頂いたのはこれじゃったなとね。例えばですよ前々から天地の親神様のお許しを頂いて、いついつが内田金三の大事な16日の、が立ち日ではございますけれども、このようなわけでございますから、19日の夜の御祈念に合わせて、心ばかりのものをあげさって頂きますからと、例えば天地の親神様にお届けがあっておる。
 だから内田金三の自由が許された。そして今日はお前の息子の立ち日ぞというて、そのお母さんにね、お母さんまで今日はこのお祭りを、お祭りというほどじゃないけども、この御霊様の、(?)心尽くしを御霊様も一緒に受けておられるという感じですね。おそらく、お婆ちゃんもそりゃ歌の名人でしたからね、恐らくあの三味線に合わせて、歌でも一つ歌おうかち、歌いなさるような感じでしたよね。そういうおかげが頂けれると言う事。ね、行き届いた信心というのは、そう言う事なんだね。
 思いつきでぽかっとお祭りして下さいじゃいけん。前々からそうやって、おかげを頂いておると、神様の方にも神様のご都合がある。そこでちゃんと、( ? )内田金三の御霊の上にも、またその母親であるところの、おばあちゃんの御霊までも、そこに呼んで勿論、金光様の熱心な信者さんでした、お婆ちゃんがね。そういう意味合いでお徳を受けておられると言う事も感じられますけれどもです。
 今日はそう言う様なあのう御祈念の中に、まぁお祭りとまではいかんでも、絶ち日に内田さん達のまぁ思いというか真心をお届けさせて頂いたのでございますね。そん中で皆さんが本当に色々感じさせて頂く事、分からせて頂く事、いかに天地の親神様と、私共との繋がりというものがです、いかにあってもこちらに生きた心がなからなければ、天地とは繋がらないと言う事。どんなに例えば大きな大木であってもですよね。
 それが枯れておったんではもう天地としても、それを生え出すことも花を咲かせることも、お出来にならないと言う事ね。これがどんなに小さい木であってもです、生き生きとしてね。どうぞ助けて下さいと、こう手を差し伸べておればですね。生きたものであるからそれを伸ばすことも出来れば、花を咲かせる事も出来れば、実を実らせて下さることも、又出来る様なものなんですね。いかに喜びの生きた心というものが必要か。信心にはこれが一番大事かと言う事が分かりますですね。
   どうぞ。